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失われた44年 良い記憶”ゼロ”

友人について考えてみた... |趣味で結びつくのか。それとも人そのものが結びつくのか

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増上寺(ぞうじょうじ)は、東京都港区芝公園四丁目にある浄土宗の寺院。山号は三縁山。三縁山広度院増上寺(さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ)と称する。

増上寺 - Wikipedia

増上寺/東京の観光公式サイトGO TOKYO

大本山 増上寺

 

友人にしたい相手がいるのだとして、どういった事でアプローチするのか、結びつくのか。大きくわけてふたつなのだと考えている。

1.趣味を通じて結びつく

2.人そのものを好きになり、結びつく

一般的に言われていそうなのが、「1」の趣味を通じて結びつき、親しくなり、友人となるケース。例えば、音楽好きなら、好き同士が結びつく。音楽の趣味を通じて結びつく。“音楽好き同士の友人”となる。

趣味ごとに、違う友人と結びつく。つかず離れずを繰り返す。これも一つのありよう。

 

「2」はそのひとそのものと真剣に向き合う。良し悪しもしっかり捉えることをする。

“喜怒哀楽”をともにし、本気で付き合っていく。たとえ、どんな状況になっていたとしても、信じ抜く。励まし、信じる。たしかに、それでも駄目な場合もあるかも知れないが、ある程度、納得はいく。

その都度、フラフラと態度を翻して駄目になるくらいなら、思う気持ちを貫いて駄目になったほうが納得はいくのではないのか。

たがいに信頼のキズナで結ばれていたのなら、その人が大事に思うものごとを、同様の気持ちを持つことができるものと考えている。“ヒトモノコト”を同様に大事と思えることができるはずだと考えている。

「2」だとこうなるのか。

 

「1」の趣味ごとに繋がるのなら、その趣味自体で楽しい付き合いとなるようにも思うが、合わないものでは、もめるケースも。また、こだわりが強いせいか、その趣味自体の中でぶつかることも。

なので、個人的には、人とひとが強固にむずびつくことに重きを置きたい。信頼もし、好きな人と過ごすのなら、何をしていても楽しいはずだ。どこで過ごしても同様と言えるのではないか。

 

人と人とが信用や信頼というところで強固に結びつきたい。たとえ、大喧嘩をし、距離があったとしても、いずれ時が経てば、再度、結びつくことができる。時が、人と人を結びつける絆。