後悔脳内 ~僕の頭の中を公開します~

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ジョナサンで「和風おろしハンバーグ」を食べながら考えたこと... |家で起きたことは家長の責任と考えたほうが上手くいく ただ責任と強権を同時に併せ持つ必要がある...

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ジョナサン | すかいらーくグループ

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長は責任と強権を同時に併せ持つ必要がある   

 家で起きていることを個人の問題としてしまうと、個人、ここでは家族同士となるが、責任のなすりつけ合いがおき、情けないことになる。

 なので、家で起きたこと、家族間で起きたことの責任は家長がとるとの考えの方がシンプルだし、不正や卑怯が減る。個人、つまり家族のものひとりひとりの問題とすると、力があるものが弱きものに責任をなすりつけると言った、情けないことが起きてしまうので、すべての責任とそれに見合った強権を同時に家長が持つ必要があると考えている。

 もちろん、長としての資質を問われることにもなるし、注視が必要になるのかも知れない。ただ、その“注視”の方法がどう言ったものになるかは分からないし、それは、これから進めていけばよいのだと考えている。

 ただ、やはり、依存的な人間は注視が必要と考えている。長の責任と強権を同時に併せ持つなら必要と考えている。

自己責任としてしまうと上手くいかない   

 家だけでなく、国もそうなのだと考えているが、たとえば国外で問題が起こった時に、それを自己責任や個人の問題としてしまうと、また、そう言った個人という考えに重きを置くことを良しとしてしまうと、家や国が崩壊する。

 保守や“右”と言われている人ほど、そういった問題に敏感でなければならないと考えているし、怒りくるい、戦も辞さずの覚悟をもって相手と向き合う姿勢を見せてこそと考えている。

 自己責任ほどの無責任はない。そう言った考えでは、弱者から弱って死んでゆく。人が死に国が亡ぶ。国家が崩壊する。グローバル化してゆく。やはり、ローカルを意識してこそ。

 家々の家風を尊重し、そこで暮らす人々の心を育むことを続けてゆけば良いのだと考える。多様で、違ったその心を尊重すること。ローカルで根付いた文化。そこから育まれる心。

独裁的な長では家や国のカタチは維持できない   

 独裁的な長が支配し、個人に責任をなすりつける無責任では、その家や国のカタチは維持できるはずもない。そこで暮らす人々の心を維持できるはずもない。やがて崩壊する。

 対外的に、姿かたちを取り繕ったとしても、いずれ崩壊する。心がないものにそのカタチを維持できるはずもない。それは、自己責任といった考えの崩壊とも捉えているが、どうか。