後悔脳内 ~僕の頭の中を公開します~

通信と紙媒体に舵を切る 犬の犬になってはいけない。出来れば、鳥や猫、馬の犬 ナナが好き

モスバーガーで「モーニング野菜チーズバーガー」を食べながら考えたこと... |無駄を無駄とせず美しさをみることこそ日本の心

f:id:ktake0606:20190608004805j:plain

ツールだからこそ機能美。ただ、そこに心はない

妙高型の3番艦重巡洋艦「足柄」

 イギリスへ派遣された際、“飢えた狼”というニックネームをつけられ揶揄された、妙高型の3番艦重巡洋艦「足柄」

 たしかに“イギリスの巡洋艦にある気品や優雅さ、ゆとり”といったものが皆無だったのかも知れない。ただ、いずれにせよ、“飢えた狼” も “イギリスの巡洋艦にある気品や優雅さ、ゆとり” も、ともに見えたところの姿かたちを述べているに過ぎない。

 軍艦とは、あくまでもツール。

 相手と戦うためのツール。ツールが機能性を重視しないとは何か。ましてや、戦争のためのツール。良くも悪くも人殺しのツールだ。

 ...それは、恐ろしい話でもあるが、相手を倒さなければ、自分がやられる。家族がやられる。

 国家の存続まで脅かされる。

 

足柄(あしがら)は、日本海軍の重巡洋艦。妙高型の3番艦。川崎重工業神戸造船所にて建造。艦名は神奈川県箱根の足柄山に因んで命名された。なお、戦後この名称は海上自衛隊のあたご型護衛艦の2番艦「あしがら」に受け継がれている。

1937年のジョージ6世戴冠記念観艦式の際には招待艦としてイギリスへ派遣され、「飢えた狼」というニックネームをつけられた。

f:id:ktake0606:20190612100045j:plain

足柄 (重巡洋艦) - Wikipedia

旧日本海軍の重巡洋艦「古鷹」ソロモン諸島沖で発見

 

2019年5月5日、マイクロソフト共同創業者である故ポール・アレン氏が遺した探索チームが、太平洋戦争中の1942年に戦没した旧日本海軍の重巡洋艦「古鷹」をソロモン諸島沖のサボ島沖合1400メートルの海底で発見したと発表した。

近年では人気ゲーム「艦隊これくしょん」などへの登場でも、その名を知られている古鷹。同チームによると発見日は2月25日となっている。

http://news.livedoor.com/article/detail/16429288/

 

 77年の時を経て発見されたのだとか。

 「古鷹」をモノのとして捉えると、重巡洋艦に心などない。旧日本海軍の「古鷹」にモノとしての価値は皆無。

 戦時中に沈めた軍艦でしかない。

 ただ、そこに心を見るものもいる。モノとしての価値は皆無である「古鷹」に何かをみるものが必ずいる。そこに価値を見出し、損得を度外視して、心ある行動をとる事をしている。

 敗れたものへの配慮や、情けの話に思う。

 ただ、何故だか日本人から、そういった心が失われているような気もする。

 別の国の人びとから、そう言った心を見ることができるのは嬉しいが、反面、情けない気持ちにもなる。もちろん、日本人に対する皮肉。

 損得勘定への皮肉。勝利至上への皮肉。文化になるはずもない。

 

古鷹(ふるたか)は大日本帝国海軍の古鷹型重巡洋艦1番艦である。艦名は江田島の海軍兵学校そばにある古鷹山に由来する。平賀譲造船官が設計し、世界で最初に20cm砲を搭載した巡洋艦となった。1942年10月、サボ島沖海戦で沈没した。

f:id:ktake0606:20190612100219j:plain

古鷹 (重巡洋艦) - Wikipedia

生きんがため。綺麗ごとなど通用しない

 軍艦は兵器。芸術品ではない。人殺しの道具。

 “イギリスの巡洋艦にある気品や優雅さ、ゆとり” などと悠長なこと言ってはいられない。当時の日本国には、そのような余裕は一切ない。

 ツールはできる限り無駄を排除。それは機能美。無駄が多いほど怪我もするし、戦争なら死ぬ。

 

足柄(あしがら)は、日本海軍の重巡洋艦。妙高型の3番艦。川崎重工業神戸造船所にて建造。艦名は神奈川県箱根の足柄山に因んで命名された。なお、戦後この名称は海上自衛隊のあたご型護衛艦の2番艦「あしがら」に受け継がれている。

1937年のジョージ6世戴冠記念観艦式の際には招待艦としてイギリスへ派遣され、「飢えた狼」というニックネームをつけられた

足柄は1929年(昭和4年)8月20日神戸川崎造船所で竣工した。1935年(昭和10年)4月7日の標柱間速力試験では排水量13,000tで実測35.6ノットを発揮した。しかし9月14日の演習中に足柄の2番砲塔で事故が発生し、13名が死亡した。

足柄 (重巡洋艦) - Wikipedia

日本海軍の艦隊編制と海戦ガイド: 作戦行動部隊のしくみ

日本海軍の艦隊編制と海戦ガイド: 作戦行動部隊のしくみ

無駄を無駄とせず美しさをみることこそ日本の心

反面、無駄なことに美しさをみるものもいる

 儚さ、もののあはれ、老いてゆき、朽ちてゆくものに何かをみるものもいる。

 小さく、弱きものに何かをみるものもいる。不完全なものに何かを見るものもいる。

 心はモノではない。機能ではない。無駄なものでもない。

 無駄を無駄とせず見てこそ。そこに何かをみることができてこそ。たとえ、機能的でも無く、生産性が低かったとしても、そこに美しさをみる事ができてこそ、日本の心と考えている。

 

いわゆる“左”“右”の視点から美しさを述べた

 生きんがため、自身が大事に思うものを必死に守ろうとするものを思う心。また、美しいものを美しいと心に準ずることとは文化的であるため。

 “飢えた狼”

 “イギリスの巡洋艦にある気品や優雅さ、ゆとり”

 いわゆる“左”“右”の視点から美しさを述べたともいえる。

 「心」に心をみる事は容易だが、「モノ」に心をみる事は、意外と難しいかもしれない。本来、日本人は得意としていたはずだが、八百万の神々という感覚が無いというところが難しさに拍車をかけたか。

 心はカタチをみる事ができないから、見抜きずらい。

 モノは古くなれば壊れる。

 壊れいくもの、朽ち果てていくものに心をみる事もできないからこそ、新しく見栄えの良いものばかり目に付く。そして、心をみる事をしないのだろう。

 

軍艦といったモノではなく、こころはどうなのか

 機能として、見るからこそ。古くなれば、役に立たないと考えてしまう。

 ではなく、心で見たらどうか。文化として見たらどうか。たしかに、当時の日本にそんな余裕はないから仕方が無いところでもある。

 ただ、軍艦は兵器。芸術品ではない。戦争のためのツール。機能として見てこそ。機能性を無視し命を落とすなど、考えられない。

 また、軍艦といったモノではなく、こころはどうなのか。

 心を持った人を機能として見てしまうのはどうか。機能的でなくなった人間をそのように判断するのはどうか。人の心を無視し機能だけで判断することに心があるのか。

 文化になるのかと考える。